角谷商店 - 伝統文化の街、石川県金沢に150年前から紙卸商を営んでいる老舗です。

会社案内
角谷の原動力

わが角谷商店には、創業家から代々伝わる誠心の伝統を、一身に受け継ぐ血脈が
滔々と流れています。

先日惜しくも事故で亡くなった会長の、ご母堂が実は今も角谷商店の生き字引として
私たちを陽に陰に支えていてくれています。

ついこの間まで、事務処理の要までされていて、最近になってようやく悠々自適に
暮らされながら時々私たちを励ましにきてくれます。

「若い子たちにかこまれとると、いつも元気になるわいね」
私たちこそ、大きい奥さん(そうお呼びしています)からたくさん元気をいただいています。

そんな奥さんから、創業150優余年になる角谷商店の永い歴史の間にあったドラマティックな
出来事と、後世に伝えたい当社の精神につながる大切なお話をお聞きしました。

中島多美子(なかしまたみこ)
大正10年5月9日、のちの角谷商店三代目、中島越次の長女として生まれる。
兄弟に男子がいなかったため、婿の治男とともに戦前・戦後にわたって店を支え、80歳代後半の今に
至るもカクシャクと、最近まで業務を取り仕切る。
最愛の夫治男と長男靖夫をわずかの間に相次いで亡くすも、深い悲しみを乗り越え若い
者たちにハッパを掛けてくれる元気な「おばぁちゃん」。
貴重な気丈な大正女である。

紙屋の黎明期とは

幕末から創業していた「角谷商店」も、最初の
ころは質屋が主業。元々有していた恵まれた財力から、近在の方々の利便に一役かっていました。

副業と言える紙売りは、かつぎ売りと言ってわずかずつ持ち歩いたり、大八車に乗せて、お得意様一軒一軒、御用聞きをしながら売り歩いていました。

創業家はもちろん「角谷家」。そこに中島家と金子家という血縁を繰り返した両家が密接に絡み合い、家と商いを支えあってきた歴史があります。

昔はどの家でもそうでしたが、特に角谷家では、 家や商いの"かんばん"を守るため、血筋を大事にするとともに、代々の伝統を連綿と引き継ぐための苦心の跡が、この家計図からも偲ばれます。

金沢市の旧市街、野町から菊川に家が移り、また菊川から小立野に紙の店を構えた二代目の兵二さんが、また菊川に戻るなど明治大正期にはその拠点を転々とするなどのご苦労がありました。

後には番頭をしていた親族の金子越次に代を譲り、その越次がお店を兼六園下の兼六元町に開いたのは昭和11年。
その越次は男子の跡継ぎがいなくなった母方の中島家を絶やさぬよう、中島の姓を名乗ることになり、ここに角谷商店は中島家が受け継ぐことになったのです。

兼六元町に移ったのは、多美子さんが16歳の多感な時期。

仲良く親戚付き合いをしていた角谷の家を離れ、当時(今でも!)金沢の目抜き通りに面した場所での商いに期待と不安でいっぱいだった心地を、和歌にされてるのを今でも覚えてらっしゃいました。

「うつりきて いまだ日浅き この家(や)にて
    十六の歳は明けそめにけり 」

苦難と激動の昭和

戦後の世になっても基本的な業態は変わらず、明治以来のスタイルで、和紙を店主自ら売り歩いていました。
印刷用紙を扱い始めたのは、多美子さんの婿、治男の時代になってからでした。

金沢市内の同業の中でも後発だったので、安定的にお客様を獲得するまでに、様々なご苦労があったようです。
きめの細かい対応をと、金沢市内を夫婦で日夜遅くまで飛び回っていました。

そういった努力を続けていたさ中、大きな悲劇が角谷商店を襲いました。
不慮の失火で、兼六元町のお店が火事で焼失してしまったのです。

それはお客様へのお役に立つという、信用と信頼に対する誠心。

すぐにでも店を立て直して、用紙の安定供給に支障をきたしてはいけない。くじける間もなく家族が一致団結して立ち上がりました。

そしてこの試練を機に、金沢市郊外、玉鉾に設けていた当時としては大規模な倉庫に新たに事務所を移転。昭和53年のことでした。
逆境を好機に変える。角谷商店の発展の礎はこのときに出来たのかも知れません。

在庫の紙をはじめ、永く培ってきた角谷商店の財産である大福帳や荷車、家財などその全てが焼け、伝統を今に伝えるべき物のほとんどが失われてしまいました。
多美子さんの落胆は計り知れないほどだったでしょう。
それでもしかし、まだ失われてはいないものがありました。

発展への道と伝統を伝える

その後、金沢市の市街域拡大とともに業容も拡大。平成2年には株式会社化し、中島靖夫が社長に就任。
翌々年には、現在の本拠地となる安原工業団地内の打木町に、自動ラックを備えた大型倉庫併設の新社屋を建設。現在の当社の発展に結びついていきました。

その間には従業員も大幅に増員。単なる紙を歩いて売りさばいていた時代から、紙製品の販売・印刷案件の受注など、北陸は言うに及ばず、広く東京・関東・関西などたくさんの全国のお客様や協力会社に支えられるまでになりました。

「ここまで来れたんは、窮地になってもずっとわたしらを支えてくれた大勢のお客さんとの深くて永いお付き合いと、あんたら従業員が弱音を吐かず付いてきてくれたおかげやわいね。」

永い伝統の上で築いてきた顧客との信頼関係と、逆境の中でも多くの方たちから愛されてきた
篤いつながり。 「角谷商店」のスピリットはここにある! と確信しました。

最近でも古いお付き合いの業者の方がご来社されたときは、「おばぁちゃん元気かいね」と気に掛けて頂いて、親しく声を掛けていただけたりします。そんなときはいつも「な?ん、元気やわいね。あんたらのおかげで生かしてもろぅとるんやさかいね。」

私たちが大きい奥さんのお身体を気遣いながらも、その必要もないくらいかくしゃくとして、お話もしっかりとされています。多美子さんの存在は角谷商店の大切なブランドシンボルのひとつに違いありません。

毎日の業務の中で、多美子さんに教えていただいたことは単なる仕事の中身だけではありません。
大切にされてきた角谷商店の伝統と、連綿とはぐくんでこられた精神。

私たちはこれからも従業員一丸となって、次代の若い直喜社長を支え、その誠心を受け継ぎながら、次の100年を担い伝えていけるよう、より以上頑張っていきたいです。

大きい奥さん、いつまでもお元気でいらしてください。

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